メロン記念日の解散から時が少し経って。

メロン記念日の解散コンサートについては、もう少し時間を置いて書きたいと考えています。


それとは別に、数日経過した心境を少し書いていきます。


当日、コンサートが終了しメロンのヲタもだち オフ会に参加したときには、
いつもの皆が一緒であったので、メロンライブの昔の映像や
メロン記念日に係わったチーフマネージャーさんたちの裏話などを聞いて
楽しく過ごすことが出来ました。


でも、それが終わりホテルで一人になり、ハローやいろいろな方の
ブログでのメロン記念日に対する言葉の数々を見て
実感するのです。 メロン記念日が解散してしまったことと、
私の好きな『斉藤 瞳』さんの姿を
芸能界というフィールドではたぶん2度と見ることが出来ないという現実に・・・


悲しい。 確かに悲しいんです。
でも、それとは厳密には違っていて、 喪失感と虚脱感にさいなまれています。


なんだかこう書くと語弊があるかもしれませんが、
斉藤瞳さんの芸能界引退だけならまだ、心はましだったのかもしれません。
でも、メロン記念日というグループも無くなってしまったという現実は
本当に寂しいのです。


メロン記念日がなぜ好きか? 斉藤瞳さんのどこが好きか?
いっぱいあるのですが、
私にとってその本質は、1点であると感じています。


それは、斉藤瞳さんがメロン記念日の中で1番好きであるにも係わらずに、
それと同じくらいメロン記念日というグループが好きでいれているという事なのです。


例えば他のグループでは、推しの人がいてグループもそこそこ好きだったとします。
でも、そのグループの誰を見ても楽しいという感覚はほとんどありません。
また、他の人のパートの時にその人を応援しなかったり、コールをしなかったりする人が
多数見られます。


私は個人的にそういう事が好きではないのです。
しかし、メロン記念日はそうではない!!
私は斉藤瞳さんを目線で追うこともありますが、目の前に来た他のメンバーに
必死に声援を送っていても本当に楽しく感じるのです。
村っちが面白いことしてくれると笑うし、自分が大げさに振りをしているのを見て笑えば
楽しくなります。 マーシーの歌声にしびれもするし、柴ちゃんの可愛らしさにほくそ笑むこともあります。
そんな感じで誰推しってのがあるにも係わらず、いわゆる箱推しが
ほとんどのメロン記念日のヲタに成り立ってしまう素晴らしさに、すっごく心惹かれてしまうのです。


また、アーティストとは違う部分で言うと、
メロン記念日ヲタもだちの一体感が他では味わえない
高揚感を与えてくれるという事があります。
なんだか、皆でこのメロン記念日を支えていこうという気持ちが伝染するんです。


本当に素敵なグループで、こんなに真剣に声を贈れるグループが
出てきてくれないのでは!
という事がたぶんこの喪失感と虚脱感の原因なのかもしれません。
また、楽曲的にも本当に歌い継いでもらいたい楽曲がたくさんあります。
メロン記念日でその曲たちが聞けないことも残念ではありますが、
他の人でも歌ってくれて、納得が出来るものを
与えてくれる人達が思いつかないことが実に残念です。


その他にも思うことはありますが、
この辺りにしておきます。


本当に
自分にとって『メロン記念日
がジワジワと実感していく日々が続いています。